横浜地方裁判所 平成9年(行ウ)36号 判決 2000年11月29日
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、神奈川県中郡大磯町に対し、金三五五九万一七五八円及びこれに対する平成九年一〇月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の内容
一 概要
本件は、神奈川県中郡大磯町(以下単に「大磯町」という。)がその所有・管理する土地(並木敷)上に建物を所有していた被告と物件除却補償契約、損失補償契約を締結し、被告に補償金を支払ったことについて、同町の住民である原告が、右公金の支出は違法であり、被告に不当利得があるとして、地方自治法二四二条の二第一項四号に基づき、被告に対し、右補償金に相当する金員及び訴状送達の日の翌日からの遅延損害金を同町へ支払りことを求めた事案である。
二 基礎となる事実(争いがない事実である。)
1 原告は大磯町の住民である。
2 別紙物件目録記載一の土地(以下「本件並木敷」という。)はもと国(建設省所管)の所有であったところ、大磯町は、昭和三五年ころに国からその無償貸付けを受け、平成八年一一月二六日道路法九四条二項に基づきその譲与を受け、右無償貸付けを受けたころ以降、道路管理者の立場から道路敷としてこれを管理している。
3 別紙物件目録記載二の土地(以下「北側隣地」という。)は、本件並木敷に接する土地で、被告の妻の父Aの所有であったところ、被告は、昭和六〇年九月一五日、北側隣地及びこれに接する本件並木敷の一部一二七・二六平方メートル(以下「本件土地部分」という。)に跨って、同目録記載三の建物(以下「本件建物」という。)を新築した。
4(一) 大磯町と被告とは、平成八年一一月一日の物件除却補償契約をもって、被告は自費により本件建物を移転する代わりに、大磯町は被告に対し、以下の補償費計一九五五万六九九八円を支払うことを合意した。
建物移転補償 一三八五万四一七六円
工作物移転補償 二二七万〇三六二円
動産移転補償 二五万〇三〇〇円
立木移転補償 六六万九四七〇円
移転雑費 一九六万四八九〇円
その他通常生ずる損失補償五四万七八〇〇円
(二) また、参加人と被告とは、平成八年一二月一二日の損失補償契約をもって、参加人は被告に対し、本件土地部分の借地権補償として、左記の計算に基づく一六〇三万四七六〇円を支払うことを合意した((一)の契約とあわせて以下「本件補償契約」という。)。
記
21万円(平方メートル当たり地価相当額)×0.6×(借地権割合)×127.26(地積・平方メートル)=1603万4760円
5 参加人は、4の本件補償契約に基づき、被告に対し、補償費計三五五九万一七五八円を支払った(以下、一括して「本件公金支出」という。)。
6 被告は、平成九年五月一四日、別紙物件目録記載四の建物を新築し、そこに転居し、本件建物を取り壊し、本件土地部分を大磯町に返還した。
7 原告は、本件公金支出は違法であるとして、平成九年七月二五日に大磯町監査委員に対し地方自治法二四二条一項に基づき監査請求をしたが、同年九月一八日付けで右監査請求は理由がないとされた。
三 主な争点
本件の主な争点は、本件公金支出の違法性の有無であり、具体的には、①被告又はAらが本件土地部分を返還する前にその占有権原を有していたか、またその権原の内容はどのようなものか(争点1)、②参加人が平成元年八月二日にAに対し本件土地部分の使用に対し今後占用許可を与えないとしたことが行政財産の使用許可の取消し(以下「取消し」を「撤回」ということもある。)にあたるか(争点2)、③使用許可の撤回にあたるとした場合、補償を要するか(争点3)、④補償を要するとした場合に、移設費だけでなく、本件土地部分の使用(占用)権に対する補償をすることは許されるか(争点4)、⑤使用許可の名義人でない被告に対する補償金の支払は許されるか(争点5)、⑥総合的に見て本件公金支出は違法かどうか(争点6)であり、これらの点に関する双方の主張は、以下のとおりである。
1 占有権原の有無・内容(争点1)
(原告の主張)
被告は、本件土地部分についての占有権原がなく、これを不法占拠していたものである。私人に建物所有を目的として公共用物(本件並木敷)の使用を認めることは、本件並木敷の用途又は目的を著しく妨げるものであり、違法である。行政財産の目的外使用の許可を受けて使用又は収益をするについては、借地借家法の適用はない。
(被告の主張)
(一) 本件土地部分を含む本件並木敷は、旧東海道の化粧坂付近の松並木敷であるが、明治時代あるいはそれより前のころから、住民が占有利用してきた。Aの先代らは、このうちの本件土地部分において、長年にわたり周囲の自然環境と調和して、だんご屋を営業してきた。記録上判明している限りでも、明治二九年一月に被告の義父(A)の三代前のBが本件土地部分について神奈川県知事から、その後大磯町からそれぞれ許可を受けて使用してきており、その間、A、その先代らは、使用料を納付し、神奈川県(以下「県」ということがある。)又は大磯町はそれを受領してきた。昭和六〇年九月には、被告は大磯町の承諾を得て、本件土地部分上に自己名義で建物を建て替えた。
本件土地部分は、地目は道路となっているが、道路として機能していた時期がいつまでかも分からない。
(二) 右経過のとおり、本件地部分の利用関係は、実質は私法的な利用関係である。さらに、本件並木敷は、公共用財産ではあるが、一般の通行の用に供されるものではなく、黙示的に公用が廃止された状況にあった。このように、本件土地部分は、公共用財産としての形態、機能を全く喪失し、そのうえ平穏かつ公然と対価の支払を伴う占有が継続してきた。したがって、本件土地部分については、使用者である被告側において大磯町に対し建物所有目的の借地権を主張することができる場合であるとも考えられる。
(参加人の主張)
(一) 本件並木敷は、旧東海道の道路敷に沿って並立する松並木の敷地部分であり、神奈川県が管理していたが、昭和三五年に町道に認定され、昭和三六年から参加人が管理している。
本件土地部分は、本件並木敷の一部であり、江戸時代より東海道を通行する旅人の休息所として利用されただんご屋の建物敷地であった。このだんご屋は、明治五年頃からAの三代先代で当時の戸主であったBが営んでいた。その後も明治、大正年間を通して、Bは、神奈川県から「家屋建設使用のため」として許可を得て(被許可者は途中Cに変更した。)、本件土地部分の使用料を納付し、昭和二一年まで右だんご屋の営業を続けてきた。
C没後は、Aが承継したと思われるが、Aは、昭和二三年頃からは、北側隣地をDから賃借し、本件土地部分とに跨って建物を所有していた。そして、Aは、昭和三七年一二月一一日に北側隣地を取得した。
本件並木敷が国道から町道に変更された後の昭和三六年、その管理権は県知事から参加人に移管されたが、その際、Aに対する占有許可関係も参加人に引き継がれた。記録の存する限りでも、昭和五八年六月から昭和六四年(平成元年)五月三一日まで、A及び娘のEは本件土地部分について、「家屋存置」のため参加人から占用許可を受けていた。
その間昭和六〇年に、参加人は、本件土地部分上にAの娘Eの夫である被告が同人名義で建物を建て替えることを承諾し、それに基づき、被告は建物を建て替えた。
(二) 右経過のとおり、本件土地部分の使用は国有財産法、地方自治法が制定される以前からのもので、一〇〇年以上もの長期に及び、右のような利用実態にかんがみると、その利用関係は本来的には私法関係ともいえる。さらに、本件並木敷は、公共用財産であるが、長期間事実上公の目的に供されることもなく、公共用財産としての形態、機能を全く喪失し、そのうえ平穏かつ公然と対価の支払を伴う占有が継続してきた。したがって、右土地については、黙示的に公用が廃止されたものとして、使用者において借地権を主張することができる場合であるとも考えられる。
2 使用許可の撤回の有無(争点2)
(原告の主張)
行政財産について公用又は公共用に供する必要が生じたときは一方的にその使用許可を取り消すことができる。参加人は平成元年八月二日にAに対し本件土地部分の使用について今後占用許可ができないことを通知したが、これは行政財産の使用許可の撤回にあたる。
(被告の主張)
本件土地部分上に本件建物を新築することを許可してからわずか三年後に、参加人は、原告主張の通知をしたが、このような一方的通知で使用権が消滅するとは考えられない。このため、被告は以後地代の供託を継続し、協議を重ね、大磯町との間で借地権に準じた補償を受けるのと引換えに本件土地部分を明け渡すとの合意に達した。
(参加人の主張)
参加人は、昭和六二年に県が策定した魅力ある景観づくり指針に基づき、本件並木敷を含む旧東海道松並木の保存を図る町道整備事業を企画し、この事業を進めるために松並木敷の占用関係の整備を行うこととし、平成二年度以降は右の占用許可を継続しないことを決定し、平成元年八月二日、原告主張の通知をした。参加人は、このような事実上の拒絶により使用許可を撤回したものである。
また、本件土地部分の使用関係が私法関係(借地権)とも見られるので、右の通知は、厳格な意味での使用許可の撤回といえるか疑問であり、過去の経緯、占有状態等を考慮して今後交渉のうえ解決する旨の意味とも解される。
3 補償の要否(争点3)
(原告の主張)
国有財産法によると、本件のような期間の定めのない使用許可の撤回に際して使用権者に損失が生じても、使用権者がこれを受忍すべきときは、補償は不要であると解される。行政財産の使用権は公共のため必要があるときは一方的に消滅されるという内在的制約を持つのである。
本件において、参加人が右撤回を行ったのは、「旧東海道化粧坂松並木周辺地区整備基本計画」の実施という本来の目的を実現するためであり、右撤回は、右目的を達成するため同時期に占用者全員に対し例外なくされたものであるから、被告は本件土地部分の使用権の消滅を受忍すべき立場にあった。このような場合に、大磯町が使用許可の撤回後、使用権者に対し補償金を支払うことは法律上、最高裁の判例(最高裁昭和四九年二月五日第三小法廷判決・民集二八巻一号一頁)上許されない。
(被告の主張)
前記のとおり被告は本件土地部分について長年の経緯に基づき借地権に準じた使用権を有する。特に、昭和六〇年九月に大磯町の承諾の下に被告が本件建物を新築した。それが、わずか三年後に一方的通知で消滅し、補償なしに立ち退かなければならないとは考えがたい。
仮に、原告指摘の最高裁の判例を前提としたとしても、被告の親族は少なくとも明治五年以降継続的に建物の敷地として本件土地部分を使用してきており、使用自体に内在的制約があるものとは到底考えられないこと、昭和六〇年には大磯町は被告に対し建物の建替えを承諾しており、右利用権は建物所有を目的とするものであること、大磯町においては、本件並木敷上に、被告以外にも同種の占有者が多く存在し、これらの者に対し地域の混乱を招くことなく円満、円滑な任意の明渡しを進めることが行政としても必須であったことなどから、本件は、右判例にいう「特別の事情」が存在する事案である。
(参加人の主張)
道路については、使用許可を撤回する場合には通常受ける損失を補償しなければならないと規定されている(道路法七一条二項三号、七二条一項)。本件は、右規定に該当する場合であるから、参加人は、右規定に基づき、使用許可名義人及びその家族の代表者である被告と補償交渉を行い、本件補償契約を締結した。
最高裁の判例によれば、行政財産の使用許可の撤回に際しては、特別の事情がない限り、使用権者は当該土地使用権の喪失について損失の補償を請求することはできないとされるが、右判例は公共事業における損失補償の実情にそぐわないものである。仮に右判例を前提としても、本件は、前記の事情を含むもろもろの事情(本件並木敷は公共用財産といえるか疑問であること、Aの先代は本件地域の発展に多大な貢献をしたこと、本件土地部分は少なくとも明治五年以降継続的に建物の敷地として使用されており、使用者は地上権以上の実質的な利用権を有していると考えられること、使用者は一〇〇年近くにわたり使用の対価を支払っており、その額は近隣の相場に比べ低廉ではないこと、参加人は昭和六〇年には被告に対し建物の建て替えを承諾しており、短期間内に返還されることは予定されていなかったこと、物件の除却費のみを補償しても、使用者は同等の土地を取得できず、土地の明渡しは使用者にとって、特別の損失であること)から、右判例にいう「特別の事情」が存在する事案である。
4 使用(占用)権に対する補償の要否(争点4)
(原告の主張)
大磯町は、本件については本来法律上補償すべき必要がない。まして、更地価格の六〇パーセントの借地権補償に準じた補償は過大である。
(被告の主張)
原告の主張は争う。使用権に対する補償を要する。
(参加人の主張)
本件において、使用者の土地明渡しに伴う損失は、物件除却費に要する費用のほか、土地を使用できなくなることによる損失であり、それは土地の利用上の利益の喪失を意味する。土地の利用上の利益とは、同種同等の土地を他に求め、これを利用することにより得る利益であり、端的に言えば、借地権価格相当額がこれにあたる。
5 使用許可の名義人でない被告に対する補償の適否(争点5)
(原告の主張)
本件土地部分について使用許可を受けていたのは、被告の妻の父であるAである。したがって、それにもかかわらず、大磯町がAの相続人でもない無権利の被告に対し補償を行ったのは、違法である。
(被告の主張)
被告は、自己の所有名義の建物が存在する事実を前提として、それを許容してきた大磯町と任意明渡しをすることについて、補償金の支払を受けることにより一切を解決したものであり、それは占用許可が誰の名義でなされたかということにより左右されない。なお、本件において、被告は親族を代表して参加人と交渉し、本件補償契約を締結しており、そのことについて原告以外から現在まで異議が出されたことはない。
(参加人の主張)
被告は、Aの娘の夫で、婚姻した昭和五二年一一月以降本件土地部分上の建物に居住してきた者であり、昭和六〇年には、参加人から、本件土地部分上に被告名義で建物を建て替えることの承諾を得たうえ、建物を建て替え、以後その建物(本件建物)に居住していた。
以上のような経緯から、大磯町は、物件除却補償については本件建物の名義人である被告とせざるを得ないところ、土地使用権の対価の補償についても、一家を代表して被告が行うことをAを含めた家族一同が了承した。また、被告名義による建物の建築の承諾は、参加人において、被許可者の実質的変動として認めたのであり、被告は適法な使用権を承継した者である。
6 全体としての違法性の有無(争点6)
(原告の主張)
本件において、大磯町は損失を補償する義務がなく、被告は損失補償請求権を有しない。したがって、大磯町が被告に支払った補償費は、法的根拠を欠き違法支出として無効である。
(被告の主張)
大磯町においては、被告以外にも占用許可を得て本件並木敷を利用してきた者が多い。それらの者も代々、明治時代、あるいはそれ以前から現在まで継続して本件並木敷を占有、利用してきている。本件並木敷は、地目は道路となっているが、かつて道路として機能していたかは不明である。このような状況から、本件並木敷の占用許可が取り消されたからといって、それまでの占有を直ちに違法、不法な占有として排除するのは、非常な混乱を招くこととなる。大磯町は、右のような歴史、経緯を尊重しながら、円満な立退を実現するため漸次的に並木敷を整備していくという基本的な姿勢であった。
被告は、平成六年一一月以来、数回にわたり参加人と面談して協議を重ね、その結果参加人から借地権に準じた補償をするとの意向が示され、前記のような補償契約を締結した。それに先立ち、平成八年三月、右支出について大磯町平成八年度予算に計上され、大磯町議会において承認、可決されている。
町としていかなる手段、手順を踏んで並木敷の整備をしていくかは、道路管理者の裁量の幅のある行政判断に属する事柄であるところ、本件補償契約は、固有の問題、他の事例の問題、将来の解決の見込、その他種々の要因などを考慮してされているので、その裁量を超えたものでなく、当・不当の問題を論じることはともかく、適法・違法の問題は生じない。
(参加人の主張)
本件並木敷は道路敷地の一部として行政財産とされてはいるものの、被告以外にも、多くの者の生活上必要な占有、使用がされている。大磯町が松並木敷として整備するためには、それらの者からの明渡しを円滑に進める必要があるが、右円滑な明渡しを実現するためには、土地使用権の対価の補償は不可避である。そのような判断から、参加人は被告と交渉の末、本件補償契約を締結した。
補償内容は、道路管理者の裁量に属する事柄であり、その内容は、前記のような事情にかんがみると、許容された裁量権の範囲内に属し、違法の問題は起きない。
第三争点に対する判断(証拠等により直接認められる事実については、主な証拠等を当該事実の前後に記載する。書証の成立は弁論の全趣旨により認められる。)
一 はじめに
本件公金支出の違法性の有無について判断する前提として、本件並木敷の位置・占有状況、本件土地部分の利用状況、松並木整備計画、参加人と被告との交渉状況、参加人と被告以外の占有者との交渉状況等の事実関係をまず検討する。
1 本件並木敷の位置、占有状況等
本件並木敷を含む化粧坂付近は、江戸時代には東海道の一部として通行の用に利用されていた。右付近の東海道は、その後旧国道一号の一部となった。旧国道一号の化粧坂付近は、当初国道の管理者としての神奈川県知事が管理していた(旧機関委任事務)が、国道一号線の整備に伴い、国道としての機能がなくなり、昭和三五年に右道路部分が大磯町道に認定され、大磯町がそのころからこれを管理するところとなった。その敷地の所有権は、当初は国(建設省所管)に属したので、大磯町が右町道の管理権者となった際には、大磯町は国から右の道路敷の無償貸付けを受けた。その後平成八年一一月二六日、大磯町は、道路法九四条二項に基づき右の敷地の譲与を受けた。(第二の二2。甲八、甲一二の三ないし五、弁論の全趣旨。なお、大磯町道の管理権者は参加人ではなく、大磯町である(道路法一六条)から、証拠上、大磯町か参加人(大磯町長)か明確でないものについては、右のような理解を前提に認定した。前記基礎となる事実についても、右と同様の趣旨に理解する。以下においても、同様とする。)
本件並木敷は、地理的には、右のとおり旧東海道の化粧坂付近に位置するが、道路の構成からいうと、道路敷に沿って並立する、もと松並木の敷地部分の一部に属する。化粧坂は、現在の国道化粧坂信号から旧国道大踏切(その後の竹縄地下道)にかけての松並木のある緩やかな坂であり、その名称は、鎌倉時代の大磯の代表的女性が井戸水を組んで化粧をしたことに由来があるといわれている。(甲八、丙三、弁論の全趣旨)
現在においても、本件並木敷を占有している者はかなり多数存在する。その中には、本件と同様に占用許可を得たうえ占用料を大磯町に支払っていた者(その中には、本件と同様に、家屋を存置している者もいる。)もいるし、占用許可を得ずに占有している者もいる。また、占有開始時期が不明な者や相当長期間にわたり占有している者も相当数存在する。(甲八・九、丙一一)
2 本件土地部分の利用状況等
本件並木敷の一部である本件土地部分は、江戸時代より東海道を通行する旅人達の休息所としてだんご屋が営まれていたところである。そして、明治五年頃からは、Aの三代先代のBが、神奈川県より「菓子小売営業免許鑑札」を得てだんご屋を営んでおり、本件土地部分は右店舗建物の敷地であった。(丙三ないし六)
その後も明治、大正年間を通して、B及び同人の養子であるCが、神奈川県知事から「家屋建設使用のため」という目的で五年間単位で文書による使用許可を得て使用料を納付しながら、昭和二一年まで右だんご屋の営業を続けてきたが、その頃右営業を廃止した(乙三ないし五、丙三)。家屋建設に何年間もかかるわけではないから、右の「家屋建設使用のため」というのは、家屋を建設するための期間中ということではなく、家屋を建設して土地を使用するためという趣旨であると解される。
昭和二三年頃からは、Cの孫であるAが、本件土地部分に隣接する北側隣地をDから賃借し、右土地と本件土地部分とに跨って建物を建築して所有していた。そして、Aは、昭和三七年一二月一一日右隣接地を取得した。(甲四、乙二二、丙七・八、弁論の全趣旨)
昭和三六年、本件並木敷を含む旧東海道の管理権は大磯町に移管されたが、その際、Aに対する占用許可関係も同町に引き継がれた。神奈川県知事から大磯町に送付された占用者調書には、Aによる本件土地部分の占用目的は「宅地敷造成」と記載されていた。(甲一二の七、丙二)
昭和になって以降の記録がすべて現存するわけではないが、存在する記録によれば、昭和五八年六月一日から昭和六四年(平成元年)五月三一日まで、被告の妻であるE又はその父のAは、本件土地部分について「家屋存置」、「家屋敷存置」という目的で参加人から一年ごとに占用許可を受け続けていた。このうち最後の占用許可はAが得ている。
右各占用許可に伴い、使用者は管理者に占用料を納付しており、その金額は昭和六三年六月一日から昭和六四年(平成元年)五月三一日までの一年間において、一平方メートルあたり四六九円で、本件土地部分全体で六万〇〇三二円である。(乙六ないし一八・二二・二三、弁論の全趣旨)
なお、右の事実に照らすと、記録が現存しない時期に関しても、Aらは神奈川県知事又は大磯町から占用許可を受け、占用料を納付して本件土地部分を使用してきたものと認めるのが相当である。
被告は、Eと婚姻した昭和五二年以降本件土地部分及び隣接する土地(北側隣地)上に跨って建てられていたA所有名義の建物に居住してきたが、昭和六〇年に、右建物が古くなったので、自己名義でもとの建物の位置とほぼ同様の位置に建物を建て替え、同年九月一五日にその建物(本件建物)を完成し、その頃所有権保存登記を了した。右建替えに際し、大磯町あるいは参加人から被告に対し、異議が述べられたことはない。(甲五、乙二二、丙九・一一、弁論の全趣旨)
3 松並木整備計画の策定と実施
大磯町は、自然環境に優れ、歴史・文化遺産も多いという環境的な特性を生かしながら、豊かで住み良い町造りを目指すための指針として、昭和六二年に「大磯町景観形成計画」を立案し、さらに旧東海道化粧坂松並木周辺地区を重点地区として位置づけ、「旧東海道化粧坂松並木周辺地区整備基本計画」を策定した。旧東海道化粧坂松並木周辺地区は、江戸時代にはにぎわったところで、歴史的な遺産も存在する地区であるが、東海道が国道一号となり、次いで化粧坂付近の国道一号が整備されたことに伴い、次第に沿道の建物の更新が目立ち、また松並木の保全が必要となってきた。そこで、右基本計画は、大磯町の代表的な歴史景観である旧東海道松並木の保存を図るため、町道整備事業を中心にして、沿道の町並み景観の形成を図り、地区住民の住環境の向上と地区の振興を図ろうとして計画されたものである。(甲八、乙二三、丙一一)
右基本計画策定後、大磯町は昭和六三年一〇月八日に第一回の地元説明会を開いたのを初め、以後関係者への説明、関係者との協議などを行った。他方、参加人は平成元年八月二日付けで、本件並木敷の各占用者に対し、松並木整備計画の区域に入っており、次の年度から整備することになるので、占用許可はできないこと、土地の明渡し及び工作物の移転等については今後話し合いを進めていく旨を文書で通知した。(乙一九、丙一一)
4 参加人と被告との交渉状況等
この通知に対し、Aは、平成元年以降平成六年までの間、本件土地部分についての占用料相当の金額を供託した(甲一〇)。
参加人と被告は、平成六年一一月以降計一〇回ほど話し合いを行い、結局、平成八年一一月一日に物件除却補償契約が、同年一二月一二日に損失補償契約がそれぞれ締結された。それに先立ち、平成八年三月、右支出が大磯町平成八年度予算に計上され、これについて大磯町議会において可決、承認された。(第二の二4、乙二二・二三、丙一一、弁論の全趣旨)
5 大磯町と被告(義父のAをも含む。)以外の占有者との交渉状況等大磯町と被告以外の本件並木敷占有者との間の交渉の結果、話し合いのついた者が若干はあるが、同町と大多数の者との間では現在も未解決であり、今後話し合い等がさらに行われるという状況にある(申九、丙一一、弁論の全趣旨)。
二 Aらの本件土地部分の占有権原の有無・内容(争点1)
1 本件土地部分の占有についての法的性質
一の事実関係を前提として、まず本件土地部分の明渡しの要請があったころ(平成元年ころ)のA又は被告による本件土地部分の占有権原の有無及び内容を検討する。
大磯町は、本件並木敷の敷地につき、昭和三六年からは国から無償貸付けを受け、平成八年からは自ら所有することとなったところ、本件並木敷の道路管理者として、国道から町道となった昭和三五年以来これを管理する立場にあり、現に道路法に従い、本件土地部分についてはA又はEに対し一年単位で使用の許可を継続している(前記一1、2)。したがって、本件並木敷の一部である本件土地部分は、大磯町の管理するべき行政財産(道路)の対象範囲内の土地である。
本来、地方公共団体の行政財産については、政令で定める場合を除き私権を設定することができない(地方自治法二三八条の四第一項・二項)。そして、政令によれば、私人への私権の設定は規定されていない(同法施行令一六九条の二)ので、行政財産を私人に貸し付けることはできないことになる。これに対し、行政財産は、その用途又は目的を妨げない限度においてその使用を許可することができるが、この場合の行政財産の使用については、借地借家法の規定は適用されない(同法同条四項・五項)。
したがって、本件土地部分については、いやしくも行政財産である以上、町道としての用途又は目的を妨げない限度においてその使用を許可することができるにとどまり、借地借家法の適用もないはずであるから、右のAらによる占有は、行政財産の目的外使用の許可(地方自治法二三八条の四第四項)を道路について具体化したもので、町道である本件土地部分の占用許可(道路法三二条一項)に基づく使用と解するのが相当である。
2 本件土地部分の利用の実情
ところが、本件土地部分は、明治五年頃以降Bが化粧坂のだんご屋の建物の敷地として利用し、かつ、その使用につき「家屋建設使用のため」として神奈川県知事から五年単位で文書による使用許可を得ており、その後もBの養子でAの先々代に当たるCらにより継続して同様の態様で利用されてきた。しかも、昭和二一年のだんご屋廃業後も、Aらは使用許可を受けて本件土地部分に建物を建築し、利用を継続していた。そして、その使用許可に係る文書にも、「宅地敷造成」、「家屋存置」、「家屋敷存置」などと記載され、その権原は建物所有を前提とするものであることが明示され、その利用に伴い継続的に使用料の納付がされてきた。その後国道一号が整備され、本件土地部分付近の町道は交通量がごくわずかとなり、生活道路として機能している。しかも、大磯町は、このように本件土地部分上にAが建物を建築してこれを使用する状態を是認していることに加えて、昭和六〇年に建物の建替えに際し異議を述べず、被告により本件土地部分及び北側隣地に跨る土地を敷地として従前と同様の位置に本件建物が新築されることを結果的に容認した。(前記一2、甲八の八頁)そうすると、本件土地部分は、地方自治法(昭和二二年法律第六七号)あるいは道路法(昭和二七年法律第一八〇号)制定以前から、建物の敷地として神奈川県知事の許可を得て利用され(地方自治法及び道路法制定前における許可の根拠法規を明らかにする証拠はないが、旧法令又はこれに準じるものを根拠とするものと思われる。)、かつ、右の法律の制定・施行後も建物所有を前提としてその使用が県知事又は大磯町により許可されてきたということになる。したがって、1で述べた行政財産の利用方法についての規定との関係では、本件土地部分の利用は、いやしくも町道(道路)敷地である本件土地部分に建物を建築するという行政財産の管理に関する法律の規定の趣旨との整合性が限りなく弱いものといわざるを得ないのであるが、それはB、C、A等が行政法規に違反したためではなく、行政財産の管理者が継続的にこれを長期間容認したことの結果であり、Aらの占有は平穏公然のものであったわけである。そうすると、結局のところ、右の占有は、建物所有を前提とした借地権類似の性質を有する許可使用権というのが相当である。それは、明治時代以前ころからの建物所有を前提とした長期にわたる本件土地部分の利用、それについての行政財産管理権者による継続的な許可と使用料支払の実績、いわば路肩にあたる本件並木敷はもとより、それに接続する道路敷の中央部分の道路としての機能が近年低下してきたこと、本件土地部分自体が本件並木敷の一部であるためにもともと通行妨害の原因となる要素が少ないこと、これらの実情が、そうさせたものと思われる。
もちろんこのような性質を有するものとして扱われるようにした管理方法(特に昭和六〇年の建物の建替えへの対応)が正しかったかについては議論もあるようにも思われるが、ともかく返還が問題となったころの本件土地の利用に関する法的性質は右のとおりであったと認められる。
三 占用許可を与えないとの通知の趣旨及び補償の要否・内容(争点2から5)
1 占用許可を与えないとの通知の趣旨(争点2)
二の事実及び評価を前提すると、参加人が平成元年八月二日にAに対し本件土地部分の使用について今後占用許可ができない旨を通知したことは、法律的には、行政財産の使用許可の撤回を道路について具体化した道路占用許可の取消し(道路法七一条二項三号)の意思表示にあたると解するのが相当である。
ただし、一面では、それは、借地権類似の権利の与えられているAに対する本件土地部分の返還の申し入れという性質の強いものであり、また、権利の性質が右のようなものであることを是認していた参加人の態度から見て、右の申入れは、土地利用の対価を補償することを前提とした趣旨のものであったと認めることができる。
2 補償の要否(争点3)
(一) 前記のとおり本件土地部分は町道の一部(道路法上の道路部分)にあたり、その占用許可の撤回があったと理解すべきものであるところ、道路法七一条二項三号、七二条一項・二項(六九条一項・二項)は、道路管理者は道路の占用許可を受けた者に対し、公益上やむを得ない必要が生じた場合、許可を取り消すなどの措置をとることができるが、その際には占用許可を受けた者に対し通常受けるべき損失を補償する必要があり、それについて道路管理者と損失を受けた者とが協議しなければならず、協議が成立しない場合においては自己の見積もった額を損失を受けた者に支払わなければならないと規定している。
なお、地方自治法には、行政財産の目的外使用許可の取消しの場合に補償を認めた規定はないが、補償について規定を設けている国有の行政財産の使用許可の取消しの場合(国有財産法一九条、二四条二項)と別異に取り扱うべき合理的理由は見出しがたいから、公有の行政財産の目的外使用許可の取消しの場合にも、国有財産法一九条、二四条二項の規定の類推適用により、使用権者がなお当該使用権を保有する実質的理由を有すると認めるに足りる特別の事情が存在する場合には、損失補償を求めることができる場合があると解される(最高裁昭和四九年二月五日第三小法廷判決・民集二八巻一号一頁)。
(二) これを本件について見ると、大磯町が松並木整備計画という公益的な必要から本件土地部分に対する道路占用許可を撤回する場合ではあるが、Aは、前記のとおり、本件土地部分について、借地権類似の使用権を有していると認められるから、道路管理者としての大磯町は、これにつきAが通常被る損失を補償する必要がある。この点は、前記のとおり道路法に基づく義務と解されるのであり、大磯町の処理も道路法に基づいたものと理解することができる。そして、前記1のとおり、参加人のした占用許可を与えないとの通知には、損失補償についての協議の申入れの趣旨が含まれていた。
なお、前記認定のとおりの事情(建物所有を前提とした長期にわたる本件土地部分の利用、それについての継続的な許可と使用料支払の実績、本件並木敷の道路としての機能が近年低下してきたこと、本件土地部分がもともと主たる通行部分の脇の路肩部分に該当するために通行妨害の原因となる要素が少ないこと)を前提とすると、使用権者であるAらがなお当該使用権を保有する実質的理由を有すると認めるに足りる特別の事情が存在するということができる。したがって、前記最高裁の判例に照らしても、大磯町はAらに対し、損失を補償する必要があるということになる。
3 保償の範囲(争点4)
前記認定のとおり、Aの有していた権利は借地権そのものではないものの、その権原の内容は、建物所有を前提としたものであり、借地権に準じたものであるから、同人が受ける損失に対する補償として、大磯町が被告に対し、地価相当額に借地権割合(六〇パーセント)を乗じた額を損失補償契約により補償することとし、右金額を支払ったことは、参加人に認められた一定の裁量を逸脱したものとまでは認められない。
4 使用許可の名義人でない被告に対する補償金の支払の適否(争点5)参加人と被告は、平成六年一一月以降計一〇回ほど話し合いを行い、結局、前記のとおりの内容で、大磯町と被告が平成八年一一月一日に物件除却補償契約を、参加人と被告が同年一二月一二日に損失補償契約をそれぞれ締結した。
このうち、物件除却補償契約については、本件建物の所有者である被告がその当事者となるべきことは当然である。これに対し、損失補償契約は、本件土地部分について建物所有を前提とする使用権を有する者が右権利の主体として契約を締結するのが原則である。そして、本件において、証拠上最後に占用許可を受けた者はAである。しかし、同人の娘の夫である被告がAの了解のうえ本件建物を建築した上、本件建物を所有している者という立場からAやEを含む一家を代表して、参加人との間で物件除却補償とともに損失補償について話し合いを重ね、契約締結に至ったのであり、かつ、被告が損失補償契約の当事者となることについてAを初め家族一同なんら異議はなかった(乙二二、弁論の全趣旨)。
以上から、参加人及び大磯町が使用許可の名義人でない被告との間で損失補償契約を含め本件損失補償契約全部を締結し、これに基づき補償を行ったことに、違法はない。
四 まとめ(争点6)
そうすると、大磯町が行政財産たる道路の管理者として目的外使用を認めていた町道の一部である本件土地部分につき、公共目的からその使用許可を撤回し、被告に本件建物を移動させ、Aに本件土地部分の返還を求めることはできたものの、そのためには被告及びAが通常被る損失を同人らに補償する必要があった。そして、その補償の範囲は、本件土地部分の使用権については平成元年八月当時の実態が借地権類似のものであり、かつ、それは単に本件土地部分に本件建物があるというだけではなく、使用の態様が平穏公然のものであること等の前記の諸事情に照らし、評価の上でも社会通念上権利性を認めざるを得ないものであるため、少なくともその時点においては本件補償契約で認めた程度のものが通常損失として必要であったというべきである。したがって、これを道路法上の補償に関する規定に基づき本件補償契約により定め、その履行としてされた本件公金支出は、相手方を被告とした点も含め、少なくとも違法とまでいうことはできない。
第四結論
よって、原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡光民雄 裁判官 窪木稔)